茶書南方録の中に『叶うは良し 叶いたがるは悪し』ということが書かれています。
お互いの想いが交錯して同じお茶に向かって一座建立することは良いのですが、
作為的に仕組んでみたり気を衒うことで相手を感心させたりすることはお茶の本意ではないという教えです。
何か目新しいことをしたり、人が驚くようなコラボレーションをすれば自分も『すごいなぁ!』と感心をします。
でも感動するほどがどうかはまた別問題です。
感心されることはそれを計るモノサシがあります。成績だったり、業績だったり。
茶道教室だったら、お弟子さんがたくさんとか、いい道具をたくさん持ってるかとか、有名な先生に習っているとか。
でもそれは自分が本当に自分と向き合って何かをしていれば、助けにはなりますが、感動を呼ぶものにはならないです。
感動は自分も本当にお茶が好きで、やり続けていて感動を共にできる仲間と共有するものだと思います。
言葉では表現できないです。
まだまだ全然至らな過ぎますが、こういうお茶を目指します。