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至福の一服

2023.11.19


稽古に向かう。師匠宅の前で大きく息を吸ってゆっくり吐く。数回繰り返しているとリラックスしてくる。これは交感神経と副交感神経が入れ替わって起こるらしい。

点前座に座り同じ呼吸で点前するとゆったりしたお茶が点てられる。

主客がたまたま入れ替わり今度はお茶をいただく。稽古仲間も落ち着いた様子で一服を。

いただいた後、一服で満たされた。

一服のお茶で最大限に満たされた瞬間。

叶うは良し叶いたがるは悪し

こんなのお茶にこれから何度出会えるだろう。

いつかそれをやろう

2023.11.14

駅の改札を通る時に人並みを横切るときに立ち止まって道を譲る人がいる。横断歩道を横切る時待ってくれている車の人に会釈して小走りに歩く人がいる。みんな支え合って、譲り合って暮らしている。どんな忙しい時も大変な時もこの気持ちを忘れずにいる。前日お茶会をした時初めて参加されるご夫婦の方が一席前の席から外で待っておられた。時間に遅れてはならないと早めに到着され茶席でも静かに座っておられた。帰り際に挨拶をすると茶会への参加が初めてだった。とても良い機会になりました、ありがとうございました。と挨拶をされて静かに席を後に帰っていかれました。自分も茶席に客として呼ばれた時はかくの如し くありたい。いつかどこかでそれをやろうと。

共作

2023.11.12

茶会を終えて独座観念とはいかないが

今日出会った人、今日という時間、共に過ごした場所に思いを巡らせながら会を盛り立ててくれた道具、菓子またそれを作った方の気持ちを慮る。

一期一会、主人公、喫茶去の境地などには程遠いがわかってることは一つだけ。

お茶が好き、それがあれば良い。

あれもこれもやりたいと思う、もっとたくさんの人に自分のお茶を見てもらいたいと願うこともある。でも誰にどう見られるかよりも自分が一ただそれが好きだけで他には何もいらない。

そんな思いが人と触れた時に伝染して同じ思いの誰かと共鳴し茶会を共作する。

時間すら忘れて好きなことを語らう。

自分のお茶はそうありたい。

今までも、これからも

先のことはわからないし別に考えない。

気づき

2023.10.27

誰しも大人になり一つの道を歩んでいくと

その中で生きて糧を得ていく術がわかってくる。多少の困難も経験によって難なく解決できる。茶道も30年近く続けていると人を教える難しさ喜びもありがたいものだとつくづく思う。

先達の教えを紐解こうと明治から昭和の茶人の本を手に取って読んでいた時、突然目の前に崖が見えた。今までたくさん学んできたはずで一定自信があった禅の知識が全く無知であることを思い知らされ愕然とした。

日本と禅が影響しあった鎌倉、室町の頃人がどのように交流して、誰が茶禅一味のキーマンか全く抜けていた。そこに至る経緯すら自分の中で腑に落ちず、どうして茶のことを語れようか。先達の教えはまだまだ未熟であることを教えてくれた。今生きている師匠からも、ありがたく不立文字の茶の中でヒントを残してくれる先達からも『まだまだあるぞ』と言われている気がする。きっと言われている。

日々新。

はざま

2023.10.23

お茶は非日常の世界を体現します。

と言っても自然にそうなるわけではなく

そうしようと努めるから近づいていきます。

オトナミ茶事の時も日常の雑音、インターホンの音が絶妙なタイミングで茶事の進行の途中に割り込んできます。

『塵外有清楽』そんな中でも心を戻されることなくお茶の世界に浸る。

茶事にはそんな魅力があります。

亭主、客、道具いずれも

非現実の世界に誘う大切な役目を担っています。

その世界観を自分のものにして日常生活に活かせるようになると『塵外有清楽』の本当の意味がわかります。

日常生活の中で自分のスペースを心の中に持つことが大切ですね。