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やる事

2024.06.18

本気でやろう。自分で考えて行動して

気づいて納得しよう。今の自分より前に前に

見えてなかった景色を見てみよう。

知らなかったこと、知ってるつもりだったけど

わかってなかったこと。

新たな出会いがある。

新しい道がある。

それはずっと昔に誰かが通ってきた道かもしれないけれど自分で見つけた道だから

自分の道。

どこかで誰かがいつも何かやっている。

生き方を定めていけば迷うことはない。

全てはそれでいい。

原点

2024.06.06

日本的の原点

飛鳥時代の遣唐使から始まり

五代十国、宋、元、明、清の時代も

途切れることもあったが日本は絶えず中国の

文化や思想を取り込み自分たちの国に合うように

アレンジしてきた。

また朝鮮半島の百済国からも仏教美術が日本にももたらされその後の日本の美の感性にも多くの影響を与えた。

禅、茶道、和いずれも日本に招かれた僧侶や中国に渡った僧侶によってもたらされた。

仏教は宋の時代の士大夫たちの影響で儒教とも混じり合い中国の仏教として発展して日本に輸入された。

粉末のお茶は宋代に流行したお茶の飲み方で

明代になると煎茶が流行し、日本に隠元禅師が日本に来日して煎茶道の元となった。

現代の文化の源流はやはり大陸からの影響が大きい。そういう意味で言うと日本の核の部分は別にありその上に大陸文化が外郭を形成しているのだろう。

核の部分の探究はまた別にする必要がある。

修行

2024.06.04

禅の修行茶道の修行

道を求めて稽古に励む。

師匠の一言が自分にとっての公案のよう。

考えるが答えが出ない。しばらく心の奥にしまわれているが突如として目の前に現れることがある。

昔大宗匠か御家元かのお話で茶の稽古で悟りが得られると聞いたことがあった。

今になって茶の道具の扱いなどで当たり前でやっていた所作がロジック通りであったり思い込みでルーティンになっていた点前が例外を突きつけられて根底から考え直す必要に迫られる。

これは禅問答のよう?と得心する。

なかなか安心させてくれないのが茶の湯の道

まだ先に見えていない景色がある。

ずっと続く。だからやめられない。

花簇簇

2024.06.02

花簇蔟

自分が居て人が集まる。自分も誰かの居るところに集まる。人の関係とはWEBのように互いにつながってできている。

同じ花を持つ人同士が集まる茶道教室もそのようなものです。感覚、思考、生き方など同じものが好きな人がどんどん集います。

同じ心の在り方を求める人が集まると更に

良い気が生まれ広がりをみせます。

田島老師にいただいた言葉『花簇蔟』

どんどんやれ!と激励されています。

遠くまで

2024.05.20

人生を毎日生き生きと歩む目的は何か。

言葉に表現しづらいですが、考え抜いた結果

自分の中でこの言葉が浮かびました。

『少し先にある未知の世界を見てみたい』

歩まねばならない段階を経ないと見えない景色があります。

あるのは好奇心だけ。その先に何があるのか。

次から次へと現れる未知への挑戦。

周りの景色も変わる、人も入れ替わる

それでいい。上下もない色んな方向へのベクトルが違ったら見える世界も同じものをみても違う。

人との出会いで違うモノを見てる人と出会うと楽しい。

とにかく限りある時間の中でできるだけ遠くに見える何かをたくさん見てみたいと願うのです。